16話 十字傷の男




「こっちだよ!」

グロウルの声に一同は通路を駆け抜ける。

時間は刻一刻と差し迫っていた。

最後尾で、前を走る一同を見つめながらグロウルは薄っすらと笑った。

「…日没まで、もうすぐ。だね」

















喧噪

銃弾

血と、汗と、硝煙の匂い。

そこは戦場だった。

それが男の———日常だった。



建物の陰で、男は兵士の傷の手当てをしていた。痛みに兵士は声を上げる。

「おいおい、男だろマイク?情けない声を出すなよ」

からかう様にして、上官であろう男は煙草を咥えながら笑った。

「よし、これでだいじょーぶ」

巻かれた腕の包帯を見つめるマイクと呼ばれた兵士。彼は少しの沈黙の後、呟いた。

「隊長、紛争はいつまで続くんでしょうか」

「…」

「戦争は終わった。都市軍の勝利で!決着は…ついたじゃないですか!」

「辛いか」

「!」

男の言葉に兵士は口ごもった。男は静かに口を開く。白い煙がその唇から零れた。

「戦わなければこちらが殺される。今はお上を信じて従うしかない。それに僕たち軍人が戦わなければ民は誰が守る?お前の奥さんと子供はどうなる?」

「それは…!」

「やるしかないんだ。いくらニラヤカナヤの民が聡慧といえど千差は万別、いつかは理解するさ。戦いはもう…終わったんだってな」

「…そう、ですよね。すみません。弱音ばかりはいて」

兵士の顔が複雑そうに歪む。兵士はすすけたお守りを握りしめると引きつった笑みを浮かべた。

「そんな顔するな」

「わ!」

男は兵士に頭を乱暴にかき回した。

「辛いときは辛いでいい。無理して笑うな。それでいいのさ。人を傷つけて殺して。平気な方がどうかしてる。お前は正しい。それで、いいんだ」

「隊長…」

「戦場とはつねに残酷だ。その事を理解している。お前は、間違っちゃいないよ」

そう言うと、男はにこりと笑った。兵士は瞳を輝かせた。

「…はい隊長。ありがとうございます。やっぱり隊長はいつだってクールで、俺たちとは違う。敵わないな」

男は兵士の言葉に小さく笑って返すと、煙草の火を消し立ち上がった。

立てかけていた細身の槍を掴む。馴染んだ感覚を確かめるように握りしめると、男は兵士に言った。

「いつか誰も戦わなくていい日が来る。手に入れる!その時までは耐え忍べ!誰も、この苦しみを知らなくていいように。僕たちで最後にしよう。ついてきてくれるな?」

不敵な笑み。

それに応えるように兵士は力強く頷いた。

「はい!隊員」







「ニラヤカナヤ兵!少数ですが迫ってきています!これは…特攻だ!奴らは爆薬を積んでいるぞ!!」

「一時撤退!あの建物に潜伏する!」



先住民の猛攻に、都市軍の一隊は郊外の建物に身を隠した。

男は兵士を休ませる間、建物を見回っていた。

(ここは…研究所か?)

人気はない。

すると暗がりから音がした。

(何だ…?)

暗がりから聞こえる唸り声。

男がその暗がりをのぞき込む。

「こ、れは」

そこには様々な生物を繋ぎ合わせたような顔の潰れた人面の化け物

―———嵌合体<キメラ>がいた。

そして男は気づいてしまう。

そのキメラの首に下げられた、見慣れたお守りを。

それはかつて失った部下のものだった。


血飛沫が男の顔を汚す。

男は言葉もなくそのキメラを貫いていた。

ごとり、首が落ちる。槍は赤く濡れそぼっていた。

するとその時、建物全体に警報が鳴り響いた。

<被験体の脱走を確認、強制”洗浄”開始します>

「何だと…」

男の首筋に冷汗が流れる。後方から、休んでいた兵士たちが駆けつけた。

「隊長!どこも閉鎖されました!…これは?」

「見るな!」

「えっ、は、はい!」

「…出るぞ。ここを。今、すぐに」

「隊長!出来ません!退路は塞がれています!」

「なら壊してでも作れ!」

男は叫ぶ。

ガシャン!

ガラスの割れる音に一同の視線が集まった。

物陰から聞こえる唸り声。

暗闇から数体のキメラが姿を現した。

「うわぁあ!!なんだこの化け物!!」

兵士たちは余りのおぞましさに恐怖した。男は床を蹴りキメラに接敵するとその頭を貫く。銀の認識票<ドッグタグ>が見えた気がした。

キメラは慟哭して崩れ落ちる。

「刺せば死ぬ生き物だ!恐れる事はない!総員、武器を構えろ!」

「隊長!ヤツら押し寄せてきます!キリがありません!」

「いいや、殺せるのなら勝てる。殺せ!そして生きろ!生きていればいい、あとは、僕がお前たちを連れて帰る。必ずだ!だから死ぬな!生き残れ!家で、待つやつがいるんだろう!これは————命令だ!!」

男の声に兵士たちはそれぞれに武器を構えた。

男は兵士たちを背にして槍を構える。

その頬に赤い液体が伝った。

「総員!目標を殲滅せよ!」

















閉じていた瞼を静かに開く。

生ぬるい風が男の黒髪を撫でた。

ムラサメは十字の鉄槌にもたれるようにして煙草の煙を吐いた。

シラヌイは静かにムラサメを見つめていた。

「ムラサメ。出来る事なら、こんな形で会いたくなかった」

「ああ、僕もさ。できれば…誰にも会いたくなかったよ…シラヌイ」



上層階、ローズブレインの居るであろう階まであと僅か。

その広く円柱状に広がった部屋に、ムラサメは一人立っていた。

ムラサメの黒い瞳がシラヌイらを捉えた。

アルバは立ち尽くし、ルチアは息をつまらせる。

ルチアは絞り出すように口を開いた。

「本当に、戦うしかないのですか?」

「ルチアよせよ」

アルバの制止の声も、ルチアは聞かなかった。

「だって…目的は同じはずでしょう!?」

「ルチアッ!」

「同じ、か。…シラヌイ、君にブレインが"殺せる"のか?」

「…」

シラヌイは答えなかった。

「その様子では、まだ”覚悟”ができていないんだろう?」

「…自分でも、わからない。殺すはずだった、殺せるはずだった」

拳を握りしめる。シラヌイは金色の瞳を細めた。

「今は、よくわからない」

ムラサメは肺に煙を深く満たす。そして内側から押し出すようにして息を吐いた。

その目はどこまでも冷たさに徹していた。

「何かを守るには愛する気持ちと同様に、何かを斬り捨てる冷徹さも必要。そんな事では何も守ることはできないぜシラヌイ」

シラヌイはムラサメを見つめ返したまま黙っていた。言葉は、出ない。

「だがそれを拒む感情は間違っちゃいない。なあ君達」

ムラサメは人好さそうな笑みを浮かべる。そしてつ、と十字の鉄槌を撫でて言った。

「傷つけなくては生きていけない世界と

傷つけなくても生きていける世界

選べるなら君はどちらを選ぶ?」

その問いにごくりとルチアは固唾を飲んだ。アルバは言い放った。

「後者だ。他者を傷つけていいわけがねえ」

「アルバ…」

「だろう?僕もそう思う。選べるならだれも苦しい世界など選ばない。ああそうさ選ばなくたっていい」

煙草が口から落ちる。それを踏みにじるとムラサメは瞼を伏せた。

その声が僅かに震えた気がした。

「骨を絶たれる痛み、肉をえぐられる傷み、他人を殺し、仲間の屍の上に得る誉れ!そんな苦しみ、誰が望むというんだ!!」

叫び、顔を上げる男の顔には笑顔が張り付いていた。

ムラサメは乾いた声で問う。

「僕は"強者"だろ?シラヌイ」

「ああ」

「ならば僕が戦う。守れる力が、この手にあるんだぜ!人はみんな弱い。その弱いものが傷つけ、傷つかなくていいように。何もかもを諦める苦しみなど、知らなくていいように!」

ムラサメは床に刺した鉄槌を引き抜く。

「だから僕がこの十字を切りつづける。この憎悪に従い悪を殺す!」

鉄槌を構える。ごぽり、ムラサメの口から鮮血が溢れた。

「罰なら、後でいくらでも受ける。だからどうか邪魔をしないでくれ。僕には時間がない。

君はまだ選べるんだ。戦わなくていい。君達のような好い奴はそのままでいてほしい。”斬り捨てる覚悟”なんて…しなくて、いいんだ」


沈黙が訪れた。

誰も彼もが言葉を飲む。

シラヌイは静かに刀を抜いた。

「シラヌイ!?」

ルチアは思わずシラヌイを見る。その表情は堅く、真っすぐにムラサメを見つめていた。

「俺があいつを、ブレインを終わらせなければいけない。まだ、あいつと何も話せていないんだ」

「意思は、かたいんだな。でも…君のそういう真っすぐな所を、僕は好きになったんだ」

ふ、とムラサメは笑う。その瞳は何処か悲し気だった。

「この戦い、勝ったものが最上階へ上る。それでいいな」

「簡潔だね。わかった。いいとも!二言はない」

「そんな…二人とも!」

「やめろ!無駄な争いだってわかんねえのか!」

ルチアとアルバは制止の声を上げる、が二人には届かなかった。

「行くぞムラサメ」

「来いシラヌイ。どちらが”強者”か教えてあげよう。決着を———つけようじゃないかッッ!!!!」




「どうして、こんな…」

『互いに、一歩も引き下がれない。見守るしか、ありません』

「でも…!」

ルチアはわなわなと震えた。目の前では凄まじい気迫でシラヌイとムラサメが戦っていた。

散る火花、吹き荒れる爆風。衝撃に耐えきれず抉れる床や壁。

余りの速さ。

アルバは二人の姿を追いきれなかった。

(動きが、読めない、見えない!はや、すぎる!!)

『それもそうでしょう、彼は通常の2倍の速度で動いている』

「なん、ですって!?」

『修練です。幾千、幾億と重ねられた修練!それが不可能を可能とさせる!』

エリヤの言葉にルチアとアルバは驚愕した。

『…だが同時にそんな人間離れした技は相当の体の負担を強いる!ムラサメ、君は何度加速してきた?君の体を計測させてもらったんですがね。おかしいんですよ。どう考えたって、君の体はもうとっくに限界を超え”立っていることすら異常”なんですよ!』

ガキィン!

激しい金属音。二人は間合いを開けた。

鋭い眼光もそのままに、シラヌイはムラサメに問いかけた。

「精神だけで立っているということか。お前をそうまでして突き動かすのは執念か?死ぬぞ」

「いいや死なんさ。僕は」

にこりとムラサメはほほ笑む。

「あの時の光景が、感触が今も瞼の裏に張り付いて仕方ない。

忘れた事など一度もない。僕の盾になったジャック、囮になって死んだ諜報部のケリー、新兵のマークス…あいつは、子を身ごもった妻も居たよ、だが死んだ!…なら僕だけは死んでやるものか!」

ムラサメの気迫に一同は息が詰まった。

「彼らのような人間がこの世に生まれぬよう、悪をこの手で屠り続けなければいけない!あの日の自分から逃げてできた明日など要るものか!この苦しみは誰にも譲らん。故に今の僕は悪を殺す!ただそれだけを望む!」

(そうか、お前は)

「だから死ぬ事など有り得ない!この終わらない衝動<殺意>が!今この体を動かしているんだから—————ッッぁああ!!」


(止まれないんだな)

「3倍速<クイックアクセル>!!」

ムラサメは喀血した血を残し目前から姿を消した。

「わかった、ならば俺も本気を出さなければなるまい!!はああ!」



土煙が吹き荒れた。ルチア達は思わず顔を覆った。




加速

加速

加速

それは目も眩む速さ。

尋常ではないスピードの剣戟だった。

アルバがせきを切ったように声を荒げ激昂する。


「信念だとか使命だとかッ!!そんなものが何になるってんだ!いい加減、ほんとに死んじまうぞッ!!」


しかし悲痛な声も虚しく届かない。

光速の一撃を放ち、二人は衝突した。





「ぁ」


——その時、ムラサメの中で何かがプツリと切れた気がした。













前が見えない。前後の感覚も失った真っ暗闇だ。

今もこの耳に残響している。どこかで助けを求めている声が。

限界を超えた、警告を報せる鐘の音が脳裏を打つ。

そんなものは無視だ。

(僕が勝つ。僕こそが”強者”だ)

だが体は動かなかった。

「ムラサメ…さん…?」

不安そうな、誰かの声が聞こえる。

へらり、とムラサメは眉を下げて笑った。

「ああ、大丈夫だって!僕に任せろ。僕はなんたって天下無敗の英雄サマ、ムラサメ=タイガだぜ?だからそんな顔するな。お前たちの分まで、僕は」

(つよく、あらねば。ならない、のに―——―—)


ムラサメの体が浮く。その体は糸が切れたかのように力を失った。


(おわるのか、ぼくは)


走馬燈を拒むように、ムラサメは瞼を閉じた。








が、その体は地に伏す事はなかった。

ムラサメの耳元で荒い息が聞こえる。

「はぁ、ゼェ、はあ…はぁッ」

意識が遠のく。

しかし霧散しようとした意識は誰かの声に掴み引き寄せられた。

「ッが、あ…ッはあぁあッ!!起きろッ、ムラサメッ!!」

ムラサメの体はシラヌイに支えられていた。

鉄槌によって砕かれた左肩、腕をだらりと垂らせ、シラヌイは片腕でのし掛かるムラサメを支えていた。

シラヌイは血を吐きながら叫ぶ。

「倒れたくッ、ないんだろう!死ぬわけには…ッいかないんだろうッ!!」

「————」

「自分が!許せないんだろう…ッ!!己を焼べてでしか、生きられないんだろうッ!!」

応答はない。

それでもシラヌイは叫び続けた。

「起きろムラサメ!お前はそんなものじゃないッ!!!憎悪に錆びた刃ではブレインはおろか、俺を倒すこともできんぞ。俺はまだッ、お前の本当の剣を受けていない。お前の力は———そんなものかムラサメッ!!!」

「…ぐ」

シラヌイの声に、ムラサメの体が僅かに揺れ、うめき声が聞こえる。

驚愕にアルバは目を見開いた。ルチアは思わず顔をほころばせた。

「な…」

「————意識が!!」

「は、はは…、は。言って、くれるじゃないか」


『この勝負、引き分けですね』

エリヤが通信機から静かに告げる。ムラサメは答えなかった。

シラヌイはムラサメの背を掴む手に力をこめて言った。

「今はもう…お前も選択していいんだ。今は俺がいる。だからあとは俺に、任せてほしい」

乾いた笑いが聞こえる。

ムラサメは力ない体を震わせて笑っていた。

「はは、は…、君たちは、何処までも真っ直ぐだね。眩しくて、しかたない…よ……」

そう言うと、ずるりとムラサメは横に倒れた。思わずシラヌイが頭を支える。咄嗟に出したのは負傷した腕。シラヌイは痛みに一瞬顔を歪めた。

ざあとルチアは顔を青ざめさせ駆け寄った。

「エリヤ!ムラサメさんは!?」

『大丈夫です。酷く危ういけれど…。気を失ってるだけ。無事とは全く言えませんが生きてます』

「良かった…」

「…は。見せつけ、られちまったな」

アルバは眉間にしわを寄せながら呟いた。

シラヌイは静かにムラサメを横たえる。そして静かに呟いた。

「ムラサメはまだ戦場に生きているんだろう。

それに寄り添う事も、そこから引きずり出してやる事も…俺たちにはできない」

その言葉に思わずルチアは顔をふせた。

ルチアは悔しさに唇をかむ。うっすらと血が滲んだ。

シラヌイは一度瞼を閉じる。次に開いた時、その瞳は真っ直ぐムラサメを見つめていた。

「それでも手を差し伸べる事はできる。倒れそうになった時はまたその体を支えてやればいい」

ばっとルチアは顔を上げた。視線が交わる。シラヌイは静かに頷いた。

「だからそう自分を責めるな。過去は変えられんが、俺達に出来る事はある」

「…!」

ふう、とルチアは息を吐き深呼吸をした。そしてシラヌイを見つめかえすと強く頷いた。

「そう…です、よね。はい、ありがとうございます…シラヌイ」

アルバはため息をもらして言った。

「…少しくらい目をそらしたって良かったろうに。努力、忍耐…ッは根性あるわ、ほんと。しかしこんなになるまですることか?」

「魂の問題だ。信念のためには己を犠牲にすることもやむない。体生きようとも、心が死んでは仕方ない。そういうものだろう」

アルバははっと息をのむ。

そしてすぐさまからりと口の端を上げて笑った。

「あ、そう。うん、そうよネ。わかるぜ!そうだよなあ…」

「行こう。これ以上、被害者を出さないために。頂上はすぐそこだ」

「はい」





階段を駆け上がる。シラヌイは一瞬ぐらりと足元をよろけさせた。

「シラヌイ!」

ルチアが心配そうに顔を覗き込む。シラヌイはその様子に小さく笑いこぼした。

「何でもない。大丈夫だ、先を急ごう」

不服そうなルチアの背を叩き、シラヌイは歩を進めた。


体が重い、血を多く失ったようだ。だが、シラヌイのその目は凛と前を見据えている。

シラヌイは階を駆け上がりながら思いをはせる。

(来るところまできた。迷ってはいられない)

その右手は未だムラサメの熱を覚えていた。シラヌイは確かめるように拳を握りしめた。

「全てを果たした後、また戦ってくれ。今度こそ互いに万全の状態で。…ありがとうムラサメ。俺は、進んでみせるよ。我が宿敵よ」





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