2話 激動、不知火




これは彼女のいつかの記憶。

幼い頃に描いた夢だった。

彼女———ルチアは思う、これは走馬燈なのだと。


もう大丈夫だよ、お嬢さん。

私が来た、君は助かったんだ。君は強い子だ よく頑張ったね


あの時の記憶を今でも鮮明に覚えている。母の顔は穏やかで、とても嬉しそうだった。

私は母が語ったそのナイトさまに恋をした。

そうして今私は騎士<ヴァンガード>に選ばれた。ローズブレイン元帥<憧れのひと>の意思を継ぐために。母が愛したこの都市を守るために。

ねえ、母さん。私は、母さんが語ってくれたあの方<憧れのひと>のような、立派な騎士になれるかな。









———ヴァンガード本部、礼拝堂

目の前に広がるのは鮮血の海。

殺しあう騎士達。

檀上で冷たく嗤う、ローズブレイン元帥<憧れのひと>。

それはまさしく地獄絵図だった。


「人は愚かだ、いとも簡単に道を違える。故に指導者が必要なのだ。ならば私がそれを担おう。罪あるものを剪定し、罪なき者を守ろう。反逆を永劫に断つ、それは絶対の支配、真の安寧」

「———ローズブレイン。この名の下、私<全ての父>は今ここに復活を宣言する」

「さあ殲滅せよ選ばれしもの達よ。その殺人、全て私が許そう。そして嘆くな、選ばれなかった者たちよ。お前たちは革命の一歩、その礎となるのだ。それは誉れ!私の愛を心して受け取るがいい」

「刮目せよ。始動する、これぞ————人類剪定計画<救済>だ」


(私、死ぬんだ)

ルチアは絶望した。

スローモーションに流れる世界の中、ローズブレインの声が響く。そしてほの暗い感情に包まれるがまま、ルチアはそっと瞳を閉じた。

世界が暗転する。


その時だった。天井のステンドグラスに亀裂が入ったのは。


瞬間、ステンドグラスは光を反射させ、激しい音を立てて割れた。

堂内に降り注ぐガラスの欠片。床に落ちて反響する音。

ルチアは目を見開く。

光の反射と共に、独りの影が降り立つのが見えた。

(な———)

「っんだあ!?」

シャルルは声を上げる。その声を皮切りに、スローモーションに見えた世界は動き出す。

ドッと土煙が辺りを覆った。

「シャルルッ、前を!」

「あ?」

ドン!

シャルルの腹に衝撃が走る。その衝撃のままにシャルルは壁際に吹き飛ばされた。

「シャルル…!」

吹き飛ばされたシャルルを横目に、ラルゴは土煙の向こうの影に接敵した。

「はッ!」

キュースティックは風を切り、影に向かって連撃を放つ。

が、そこには既に影はなく。

「—————な」

ラルゴが気づいた時には、その体は勢いよく地面に叩きつけられていた。

「ッぐ、ぁ……!?」

肺から酸素が奪われ、息がつまる。

地面に伏したままの態勢。首筋に冷たい剣先が突き付けられているのが解った。ラルゴの頬を冷汗が伝った。

「貴方、強いんですのね…」

影は動じない。ラルゴは続けた。ぶるりと、身が震える。

「相当ですわ。この剣捌き、この重さ!洗練されている。微塵も無駄がない、正確な動き!!」

ラルゴは興奮を抑えられなかった。思わず、彼女の口から笑みが零れる。

「ぁ、あ、あっ!好い、好いッ。あまりにもッ!貴方を、もっと魅せてください!」

「黙れラルゴ!そいつは…アタシが殺すんだよ!」

怒鳴り声が響く、身を起こしたシャルルは大槌を振り上げ影に迫った。が、そこにローズブレインの声が割って入る。

「そこまでだ」

その声に二人はぴたりと静止した。

「でもッ!」「ですが…!」

シャルルとラルゴが声を荒げた時、土煙の中で銀剣が煌めいた。

瞬間、シャルルとラルゴは薙ぎ払われ、土煙がローズブレインを覆う。

「!」

その銀色の光は真っすぐにローズブレインの首元へ奔る。

飛ばされ地面に転がりながら、シャルルは叫んだ。

「ブレイン———ッ!」




一瞬の静寂。

息をのみ、視線が集まる。

土煙が晴れ、やがて視界が明けて行き————そこには男の影があった。

冷ややかに立つローズブレイン。そしてもう一人。

その喉元に剣先を突き付けている男の影が。


ローズブレインは無機質な瞳で言った。

「初めて見るな君は。何者だ?」

男は答える。

「わからないか。ブレインともあろうお前が」



———風が舞う。

土煙から現れる黒髪の男。

煙の中で、金色の瞳は鋭く煌めいた。



「俺の名はシラヌイ=ザン=サオトメ。この身にかけて、現在のお前を否定する<殺す>者だ」




土煙が完全に掻き消える。

そこにいたのは年若い青年だった。

ローズブレインの眉がぴくりと動いた気がした。

「シラヌイ…幽炎なる者か。いいだろうその反逆を許す。不思議だ、お前には惹きつけられるものがある。どうも私はお前を気に入ったらしい」

ローズブレインは静かに笑った。その声に呼応するように、礼拝堂———このヴァンガード本部全体が大きく振動し出した。



シラヌイと名乗った青年は壇上から飛び降りる。その途端、礼拝堂の地面に亀裂がはいった。

壇上が音を立てて割れ、隆起しローズブレイン達が遠ざかってゆく。

「計画完遂の後、お前は私の国に必要だ。必ず手に入れよう。ふ、面白い。戦え、人間達よ。”運命”の時まで、抗うがいい——————」



ここから逃げなくては。

ルチアは立ち上がる、が足が想うように動かない。

(だめだ、膝が笑ってる)

(しっかりしてよ私。あの方ならどうする?あの方見たいに)

(違う、もう、私の憧れた元帥はいないんだ。彼は、この都市の、敵)

あれ?私、どうすれば

目の前が真っ暗になる。ぐらりと揺らぐ視界に声が響いた。

「手を!」

「——え?」

見れば青年が手を差し出していた。真っすぐな金の瞳がルチアを見据えている。

「ここで、死にたくないんだろう。ならば手を取れ。生きることを、諦めるな」

咄嗟にルチアは彼の手を取る。するとぐいと引き寄せられ抱えられた。

「っ!」

「それでいい。じっとしておけ、振り落とされたくなければな」

青年はルチアを抱え駆けだした。———その直線状、正面は窓。

「まさか」

「飛ぶぞ。着地は俺がする。俺から離れるなよ!」

はじける轟音。

その瞬間。耳をつんざく爆発と共に、青年はルチアを抱えて窓に飛び込んだ。

「なっ」

割れ、四散する窓ガラス。

背中には音を立てて半壊する本部。

瓦礫と爆風。

ここは何階であったか、ルチアは考える余裕もなく———―—大空に飛び出していた。

空の下、ルチアの叫び声が爆音と同時に響き渡った。


「う、そでしょおおおおおお!?」







側面を抉るように半壊したヴァンガード本部。その風通しの良くなった堂内で、ローズブレインらは立っていた。

「行ったか」

ふと、ネクロが音もなくローズブレインの傍らに立っていた。不気味な面は何も映さず、ひしゃげていた首と腕は何事もなかったかのように元の姿に戻っていた。

「疑問、己は問う。あれは抑止力となりえる。障害は除かなければならない」

「ああ、いやいいのさ。彼は私を知っている口ぶりだった。興味があるんだ。それに、過去の私を超えてこそ、完全な進化、真の革命といえよう?」

にこりとローズブレインはほほ笑みかける。ネクロは黙していた。

「ネクロよ、ご執心の彼はどうした?」

「混乱に乗じ失踪」

「逃がした、ではなく?」

「訂正。否定せず」

「ふっはは。冗談さ、全くお前は面白みがないな。処刑人よ」

ネクロは答えない。

「ハハハ。いいさ、いつかその鉄仮面がゆがむ日を、愉しみにしているよ」


風が舞う。

鼻につく血と硝煙、土埃の匂い。

ローズブレインは嬉々として空を見上げた。地中に眠って幾年ぶりかの空だ。

「美しいね。この空に私の城塞をつきたてよう。支配者の象徴を。ふはは、ふはははは…あははは」

嗤う。高らかに。

ローズブレインは両手を空に掲げ、理想をその瞳に写していた。

かつて掴めなかった理想を、絶対の力で、今度こそ掴むために。












風にそよぐ草原。郊外の丘、この場所に人の姿はない。

時は夕暮れ、紅い陽がルチアと青年に影を落としていた。

「あの…ありがとう、ございます」

小さく、消え入りそうな声でルチアは言葉にした。おずおずと頭を下げる。


二人の間を風が吹き抜ける。

ルチアは暗い声色でつぶやいた。

「本部は…ヴァンガードはこれからどうなるのでしょうか」


「ヴァンガードは。この都市ヘルジャイルは終わった」


息をのんだ。

勢いよくルチアは青年を見た。しかしその表情は冷たく、無表情で。

「このままではな」

「え…?」

「ヴァンガードはみな操られている。”力”を拒んだものは皆…あいつの言葉でいえば剪定された。つまりこの事態を知るものはお前と、俺だけ」

ルチアは拳を握りしめる。ぐ、と瞳を閉じた。あの光景を思い出すのを拒むように。

絶望に頭が塗りつぶされる。目の前が真っ暗になった。

「これでヴァンガードは名実ともにブレインの物となった。そして間違いなく。この都市の敵として、俺たちは追われる。あの爆破と騒動の首謀者としてな」

青年の表情は変わらない。

「どうして」

「何だ」

「どうして、平気なんですか?」

言葉を絞り出す。ルチアの声は震えていた。だが、青年の表情は変わらない。無機質で冷たい瞳にルチアは背筋が凍るのを感じた。

溢れ出る感情。彼女はそれを抑えることはできなかった。

ルチアは青年に縋りつき、悲痛な声を上げた。

「人が———沢山死んだんですよ!?」

「ああ」

青年は口を開く。縋りつくルチアを静かに見下ろして言った。

「俺はあの男と戦うために出てきた。こうなることは解っていた」

瞳から涙が溢れる。ルチアは押し寄せる感情に頭をふった。

ずるりと、青年の服を掴んだ手を離す。そして地面に膝をついた。

「どうして。こんな、ことに」

はっと、ルチアは顔をあげる。

「わ、わたしは…これから…どうなるのですか…?」

「殺される」

「!」

冷徹な一言。ルチアは思わず青年を睨んだ。

「どうしてそんなこと…ッ!全部、貴方が」

「教会へいけ。そこで匿ってもらうといい。ブレインの侵略は俺が必ず阻止する」

「それでも!ずっと狙われ続けるんですよね!?」

青年の言葉を遮り叫ぶ。

溢れる涙はとめどない。唇が震えた。

青年に問い詰めても仕方ないと理解していながら、彼女は止まらない。止まれはしなかった。

「私が何をしたというのですか…?」

悲しみと怒り、無力さが全身を駆け巡る。ルチアは震える手で顔を覆った。

「こんな…の、あんまりだ」

冷たい風が体を吹き付ける。

少しの間があって、青年は口を開く。

「名前は」

「え…」

「呼ぶ名がなくては困る」

「ルチア。ルチア=ロックハートといいます」

「ルチア。俺についてくるか?」

「な」

ルチアは顔を上げる。逆光で彼の表情は解らなかった。紅い陽が目を刺し、思わず目を細めた。

「危険であることに変わりない。 お前はお前が守らんとするこの都市と戦うことになる。———だがお前の事は、俺が守ってやれる」

「あなたと…一緒に…」

「選べ、ルチア=ロックハート。俺と共に来るか、隠れて逃げるか」

その言葉に、ルチアの脳裏に懐かしい記憶がよぎった。



———ねえ母さん。私、立派な騎士になって。大切な人と、大切な人のいるこの都市を守ってみせるからね。



(そうだ、私は)

ルチアは立ち上がる。固く握りしめた拳はそのままに、彼女は青年を見つめ返した。涙に腫れた瞳で。

「後悔は…したくありません」

「ああ」

「だから、行きます。貴方と共に」

「ああ」

私はまだ、死んでない。きっとこれは私が選ぶべき道。

「行きます。 ルチア=ロックハート 、この名に恥じぬ騎士となるために」

ルチアは敬礼した。

数時間前、亡き友人にしてみせたように。

「…」

青年は少し目を細めた。ルチアは首をかしげる。

「…?」

「シラヌイだ」

「え?」

「俺の名前はシラヌイ=ザン=サオトメ。好きなように呼べ、ルチア」

「はい」

「うん、いい目だ。俺はそういう奴が好きだ」

青年、シラヌイはほほ笑む。

彼は今までの表情のない顔から一変して、ルチアに歯を見せて笑って見せた。

ルチアは思わず息に詰まる。

(そんな顔、するんだ)

「よし話は決まった。いいだろう、俺と来いルチア。そしてその目でこの都市の行く末を見届けるがいい」

「その先に、私の求めるものがあると信じます」

「目標はブレインの人類剪定計画の阻止!」

「全てが未知数。けれど、あの虐殺の上に成る計画など在ってはなりません。それは確か」

「敵は強大だ。だが必ず果たす。覚悟しておけよルチア」

「はい、シラヌイ」


息をのむ。ルチアはシラヌイを見つめ返した。

紅い夕日、焦がすような眩しさの中シラヌイは立っていた。

彼は一歩踏み出す。その金色の瞳が夕日に反射して燃えるように煌めいた。

「必ずお前を殺す。待っていろブレイン。全ての父よ」











———ヴァンガード本部の一室

桃色の髪の少女、シャルルは机に脚をかけてソファーにくつろいでいた。

が、その表情は険しい。

「面白くない、サイッコーに面白くねえ」

その独り言に、軟派そうな金髪の男が返事をする。

「シャルルちゃんご機嫌斜めかいな。かわいい顔が台無しやでえ?」

「う、うるっせえ!かわいいとかいうな!」

シャルルは近くにあったクッションを掴むと、男の顔面に投げつける。ソファーの傍らに控えていたラルゴがびくりと肩を震わせた。男は事もなげにクッションを片手で受け止める。

「会いに、行きますのン?」

「ああ。ブレインはあの時は見逃したけど、そのあとの事は何も言ってねえ。いずれは潰しあうんだし」

ばっ、とシャルルは体を起こす。その目は嬉々としていた。

「そうだ、アイサツだ!ちょっくらアイサツしに行くんだ!」

はあ、と男はため息をつく。だがその表情は笑ったままだ。

「ブレインは何考えてるかよおわからへんからなあ、きいつけや~?」

「オマエに言われなくたってアタシは大丈夫だっての!いいか!チクんじゃねえぞ!!」

「あい~」

部屋を出ていくシャルルの姿を見送る。

男はカンザシを頭から引き抜く。この都市では見ない造りの装飾品だ。男はそれを手の中でもてあそぶ。

「しゃあないなあ、全くお転婆にもほどがあるで」

「大丈夫かしら」

ラルゴは頬に手をあて困ったように呟く。

「元気な事はエエことや!見ててあきひん。ナハハ!」


鋭い眼光。

途端、先ほどまでの笑顔は失せていた。男は口の端を上げるようにして笑った。

「それに、どれくらいの実力か自分も気になるからなあ。観測、させてもらいますわ。シラヌイ」




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