7話 休息





ヴァンガード本部、その一室にて。

シャルルとイッセンは向かい合って座っていた。

二人の間にある卓上には白と黒の盤が置かれている。

つい、とシャルル側のキングをつまみ上げるとイッセンはにっこりと笑った。

「ほいっ王手!」

「ちげえよ!これはチェックメイトっていうんだよ!あーくやしいもう一回!」

後ろで二人の様子を見ていたラルゴが声をかける。

「いけませんわシャルル。爪を噛んでは…」

「うるせえ!!あ~~…わかった!」

シャルルはくるりとラルゴに向き直ると嗜虐的な笑みを浮かべて言う。

「だったらさあ。この次ラルゴがやれよ!アタシは見てるから。そんでもって…ペナルティに、次は負けたほうの爪、はいでやる。どうさあ!スリリングだろ?」

「痛~!シャルル、キッツイ冗談やで」

シャルルの提案にイッセンは肩を抱いておどけてみせる。にしし、とシャルルは笑うと、動揺するラルゴを無理やり椅子に座らせる。

「そ、そんな…!わ、私は…」

「んだよ、文句あんのか?」

「い、いえ…」

口ごもるラルゴを一瞥し、シャルルは鼻で笑った。

ふと、イッセンが気が付く。

「あれ?そういやグロウルは?」

「はあ…?知らないよ、あいつの事なんて」

シャルルの笑顔が消える。舌打ちをすると、憎々し気に呟いた。

「アタシ、あいつ嫌いだって言ってるだろ。ビクビクしてる癖に、ブレインの子だなんだっつって特別扱いされて…ムカつくんだよな~」

シャルルは心底つまらなそうに言った。

「さいですか。ほいっと、今回も俺の優勢やね」

イッセンは駒を動かす。チェス盤にシャルルは思わず飛びついた。

「あっちょっと今何した!?もどせ!お前やっぱイカサマしてんだろ!」

「え~?何言うてますの!そんなんするわけないやろ?あ~どんな布陣やったかなあ、忘れましたわ!」

「ッてめ~~~!」

盤上を食い入るように見つめるシャルルを気に留めず、自身の番が回ってきたラルゴは至極冷静に駒をつまみ、置く。

そして息をつき、頬に手を当てて呟いた。

「はあ…グロウル…。心配ですわ…」

「回収、したほうがええんとちゃいます?」

イッセンは次の一手を考えながらラルゴの呟きにこたえた。シャルルは少し唸った後、ため息をついて言った。

「ったく、手間をかけさせやがって。いくぞラルゴ」

「…はい」

「迎えにいきますのン?」

「じゃねえとブレインが心配すんだろ?」

だったら行くさ、当たり前だろ。とシャルルは首をかしげる。その様子にイッセンは少し瞼を伏せると、すぐさま笑顔を作った。

「そうやね、気をつけてなあ~!」

あい~と後ろ手でひらひらと手を振ってシャルルは部屋を後にした。その後をラルゴが付いていく。

一人残された部屋の中で、イッセンは胡坐をかいて天井を仰いだ。

「ナはっ。やさしいな、シャルルは」













深い、深い。

波の音が聞こえる。

空気を含んだ水がごぽりと音を立てる。

どこまでも蒼い世界で、彼は頭を抱えた。

ノイズ

ノイズ

ノイズ

不快な残響音が脳を駆け巡り、彼は瞳を閉ざした。




———————記録開始。

ザ、ザ

少しの間流れる砂嵐。

そして液晶には男が映し出された。

「私は、もうすぐ死ぬだろう。正確には私という意識は、だが。だから、記録はこれで最後となる」

男は血を吐きながら続けた。

「君の成長をこの目で見れないのは残念だがかまわない。こうして最後にまた会えたんだ」

ザ、ザ

砂嵐が返ってくる。男の声はやがて途切れ途切れになり

「私の————後のささやかな願いだ。私が————前に、どうか私の事を————」















がばり

シラヌイは教会に設けられた自室のベッドから勢いよく飛び起きた。

びっしょりと、水でもかぶったかのようにその体は汗に濡れていた。

胸が上下する。乱れた呼吸を整え、息をつく。シラヌイは大きく深呼吸したのちに顔に張り付いた前髪をかきあげた。

するとその時、部屋の扉がノックされた。

「シラヌイ起きてますか!?ちょ、ちょっと緊急事態です!」

扉の向こうから慌ただしいルチアの声が聞こえる。

「すぐ行く」

シラヌイはすぐさまベッドから飛び降り、ジャケットを羽織ると部屋を後にした。





居間ではアルバとフォーガンが腕を組み彼方をむいていた。

ずるり…と羽織ったジャケットが肩から落ちる。シラヌイはあきれ顔で問うた。

「エリヤ。これは何事だ?」

エリヤは台所から顔を出す。そしてシラヌイを見ると卵を掲げてにっこりと笑った。

「ああ、シラヌイおはようございます!あなたはサニーサイドアップと、ターンオーバーどっちが好みですか?」

「サ、タ…。なんだそれは。いやなんでもいい。それよりアルバとフォーガンはどうした?アルバがまた何かしたのか」

シラヌイの言葉にアルバが反応する。顔面にありったけのしわを寄せて抗議した。

「おお、ひどいなその顔」

「はい~~~偏見~~~!あーよくない。よくないぜそういうの!す~ぐ俺が悪いって決めつける。傷つくわあ~~」

シラヌイの後ろにいたルチアがため息をつく。そして事のいきさつを話した。

「フォーガンが、猫を飼ってるのはシラヌイもご存知でしょう?その子にアルバが餌をあげたんですよ」

「いい事じゃないか」

「だよな」

「アルバは黙って。ですが食べさせたものに問題があったみたいでして…。良くないものをあげたのか、猫ちゃん何度も戻してたんですよ。かわいそうに。それでフォーガンが怒ってしまいこんな事態に」

ルチアの語尾がにごる。哀れな猫の姿でも思い出しているのだろうか。ふむ、とシラヌイは顎に手をあて考えるそぶりをする。だが意識は卵の焼ける匂いにつられていた。

「カタブツ優等生君よお!だいたいお前はいちいちうるせえんだよ!普段から揚げ足ばっかとってきやがって、なんだお前はそんなに偉ェのか?猫チャンだって腹減ってそうだったから俺は良かれと思ってだな」

唇を尖らせ抗議するアルバに、フォーガンは凄まじい剣幕で声を荒げた。

「良かれと思って!?ひとの猫にものを食べさせる行為自体、軽率で無秩序!許されないことだ!生き物には食べさせていいものといけないものがあるッ!素人が!定められたもの以外を与えるなど言語道断!ああ可哀そうなゴロウマル…。許さん、今回ばかりは許さんぞッ!!」

ごお、とフォーガンの周りに覇気が満ちる。その様子にアルバはおずおずと小さくなった。

「知らなかったんだって~!その…ゴロウマルには悪いと思うが…。そ、そこまで怒らなくたって…」

「大体において!お前は何事にも浅はかだ!もっと物事をちゃんと考えてからだな」

「んだと!?それは言いすぎじゃねえの!」

言い合いが再開する。

声を張り上げながら、図体の大きい男二人は居間の真ん中で騒ぎあっていた。

「やれやれ…いい大人が…」

めまいすら覚え、よよよ…と壁にもたれかかるルチア。大変だな、とルチアの様子を横目にシラヌイは席に着いた。

そのシラヌイの前にティーカップと皿が置かれる。皿の上には両面焼きされた目玉焼きがソーセージとレタスと共に添えられて乗っていた。シラヌイはフォークで目玉の部分をつつく。するとぷつ、と半熟の黄身が溢れてきた。

「おお…」

好奇の目でそれを見つめるシラヌイ。その隣の椅子を引き、エリヤはエプロン姿のまま座った。

「ずっとこんな感じでして!私は今呆れを通り越して無心になっています」

シラヌイがエリヤの顔を見ると、確かに驚くほど無表情だった。

「諦めないでくださいエリヤ~~!」

思わずルチアがエリヤの肩を揺さぶる。

シラヌイは目玉焼きをほおばりながらアルバとフォーガンを見た。口の端を汚しながらそれとなく仲裁に入る。

「なあお前たちよ」

そしてフォークをソーセージに突き刺した。肉汁が零れる。

「このソーセージのように熱くなってないで、そろそろエリヤの為にもその辺りにしておけ。元気なことは良いことだが…もぐ、ううん美味だな」

言い合いをする二人の声にシラヌイの声がかき消される。ふむ、と一息ついて諦めたシラヌイはソーセージの咀嚼を再開した。

その時、張り裂けんばかりの怒声が聞こえた。

「うるさ————————————い!!」

「「!」」

思わずびくりと肩を震わせたアルバとフォーガン。声の先をみると、開け放たれた居間の扉の前にはクジョーが仁王立ちしていた。クジョーは寝ぼけ眼で立っている。パジャマのまま、寝ぐせで金の髪を散らかしながら。

「なんじゃあお前らは!たわけが!喧嘩をするなら外でやれ!!朝はゆっくり寝かせろ!!私は眠い、メッチャ眠いのじゃ!!!」

叫ぶクジョーにフォーガンが反応する。

「しまった!これは低血圧クジョー!」

「なにそれ」

大げさにリアクションするフォーガン。アルバが素朴な疑問を問うが、返事はなかった。

「御託はいい。これを見ろ」

クジョーは何かの四角い箱を掲げた。箱にはボタンがついており、そのボタンには手書きのドクロマークが書かれている。

「ナハハ、いいか?今すぐ早急に、駆け足で。騒ぐ奴はみなここを出ていけ。さもなければ—————ここを爆心地とする」

「私の教会があっ!!!」

ガタリとエリヤが立つ。そして額に手を当てるとふらりと倒れた。咄嗟にルチアがその体を支える。

「なんでもいいッ!どこへでもゆけ!散開せよッ!返事はあ!」

クジョーの怒号に居間に居た(およそ)全員が背筋を伸ばし、返答した。

「「はいいいいいいい~—————!!」」

バビュン

それぞれが駆け足で教会を出て行く。

「そう、それでよい。ふわあ…、寝なおすかの…むにゃむにゃ」

一同が去ったのを確認すると、クジョーは満足そうに微笑む。

そして眠たげに瞼をこすりながら、自室へと二度寝しに帰っていった。









「巻き込んでしまって申し訳ない…」

街並みを歩きながらフォーガンはうなだれていた。隣に歩いていたルチアはあわてて手を振る。

「あ、いえ…!フォーガンさんもああいうことあるんですね」

ばばっ、とフォーガンは顔を覆う。

「穴があったら入りたい…。そうだここに穴を掘ろう…」

「往来、往来ですからここ」

「はっ…!かたじけないルチア。恥の上塗りとはこのこと!」

ルチアはたはは…と苦笑いをしてから軽く息をつく。

「ほんと、気にしませんよ。それに、ちょうどエリヤからも、最近戦い詰めだったからタイミングがあれば休んでおけって言われてました。外の空気を吸う良い機会だったってことで!そう、今日は…良い…」

笑っていたルチア、が、次第に表情を曇らせ口ごもる。その様子にフォーガンは身をかがめ顔を覗き込んだ。

「ルチア?」

ルチアの表情は硬い。

「いいんで、しょうか…。何も、しなくて。こうしている間に…何かどこかで…」

「ええ、よいのです」

「え?」

ルチアが顔を上げる。見上げたフォーガンはにこりとほほ笑んでいた。

「体が駄目になっては、いざ戦うべきときに戦えませぬ。そして心もまた然り」

そっとフォーガンは自分の胸に手を当てる。そしてルチアの頭を撫でた。

「だから良いのです!今日は休まれよ。それにルチア、貴方には思うことがあるのでしょう?」

はっとルチアは息をのむ。そしてすこしの迷いのあと小さく頷いた。

「この不肖フォーガン、何でも聞きますぞ!口の堅さは折り紙付きです!…アルバと違って」

「ふ、ふふ」

思わずルチアは顔をほころばせる。そしてふうと息を吐くと真剣な眼差しで言った。

「廃研究所で、ムラサメさんの言った言葉。覚えてますか?」

「ああ」

「”弱者は戦場にいちゃいけない”って…。その言葉が、ずっと引っかかってるんです」

ルチアは自身の手のひらを見つめる。ぎゅ、とその手を握りしめた。

「私は、弱い。ずっと皆さんの足を引っ張って、守られて…ばかり。それでも一緒に居たいのです。これは…いけないことでしょうか」

「ルチア…」

フォーガンはかがみ、優しくそっとルチアの拳を包んだ。

「一緒に居たいと思う、それは何故?」

「私も何かしたい。誰かの力になりたいから」

その言葉にフォーガンは手を放す。二人は視線を交わした。

「それが解っていれば大丈夫です」

「え?」

「誰かのためにと思う気持ちはいけない事ではない。自信を持ちなされ」

「でも…っ!」

声を上げるルチアの唇にそっとフォーガンは指をあてる。

「小生も初めから力を持っていた訳ではありませぬ」

「!」

「誰しもが弱いものです。しかし、それを越えんと鍛錬するうちに、強くなりたいと思う気持ちに実力が伴うのです。だからルチア、貴方も強くなれる」

「フォーガンさん…」

フォーガンは膝に手を当て立ち上がると大きく伸びをした。そしてルチアに向き直って笑って見せた。

「さあ!お天気も良い事ですし、買い出しにでもいきましょうぞ!博士は甘いものが好きです。何かお土産でも!小生は甘いものに詳しくはありませんので。案内、していただけますな?」

「…ありがとう、ございます」

「はて、なんのことですやら」

フォーガンは肩をすくめ、おどけてみせた。

その様子にルチアは少し微笑むと、びっと背筋を伸ばした。大きく息を吸って深呼吸をする。そしてフォーガンに向き直ると、今度は歯を見せてにかっと笑った。

「…はいっ!行きましょうフォーガンさん!」







都市の中心から少し南。そこには歓楽街が広がっていた。

少しさびれた埃っぽいパブでアルバとシラヌイは腰を落ち着けていた。

シラヌイは窓から外、街並みを歩く人達を眺めている。アルバはジュースを煽ると、口を開いた。

「今朝は悪かったな」

「何の事だ?」

シラヌイの視線がアルバに向けられる。首をかしげているシラヌイにアルバは呆気にとられた。

「それはマジで言ってんのか、とぼけてんのかどっちだ」

「ああ、フォーガンとの悶着か?はは」

「ええ、なにその反応」

「気にしてなどいない。いいじゃないか。賑やかなのは好きだ」

「…ふうん」

シラヌイは笑っていた。その様子にアルバは目を細めた。

「お前、よく笑うようになったな」

「うん?そうか?」

今度は店内をまじまじと見つめていたシラヌイがアルバに視線を戻す。そしてまたほほ笑んだ。

「うお、な、なんだよ」

「俺は笑った顔の方が好きだ。どうだ、俺は?好い顔をしているか」

「…はぁあ?」

アルバは呆れて口ごもった。真っすぐに見つめてくるシラヌイに視線を合わせる。その金色の瞳は窓から差し込む光にきらきらと反射していた。

「まあ…い~んじゃない」

その言葉にシラヌイは嬉しそうに目を丸くした。そして店の親方に声をかける。

「おい!聞いたか!俺は好い顔をしているそうだ!」

「うわ~~~~~ッ!おいやめろ!恥ずかしいわ!」

慌ててシラヌイの口を抑える。アルバはやれやれとため息をついた。

「ったく。お前は何をするにしても”そういうのは好きだ!”つって楽しそうでいいですね~赤ちゃんかッ!」

「そう見えるか?」

「いや全然。…はあ。まあいいさ。今日は好きにしていいんだろ!今俺たちができることはない。エリヤ達がやってくれてる。俺はちょっくら暇つぶしてくっからよ」

アルバは席を立つ。シラヌイは少し沈黙し、口を開いた。

「気を休める、か。何をすればいい?」

ずるりとアルバの足が床を滑る。咄嗟に椅子を掴みバランスをとった。信じられないものを見るようにシラヌイを見たが、当人は真顔である。

「ぇえ~。そうだな、かわいい女の子と遊ぶとか~、あと寝るう?」

「身体的な休息は十分にとった。あと前者はなんだ?女子と遊ぶと気が休まるのか?」

アルバは勢いよく頭を抱えた。

「くう~~~~!筋金入りだなお前は!今時そこまでピュアなやついねーぜ」

「よくわからん。おかしいのか?俺は」

「いやそういうことじゃなくてね。あ~はいはいわかりましたよ。ほんとは野郎なんざと一日いっしょになんざいたかねえがトクベツだ!今日は遊び、娯楽の極意を俺がが教えてやる!」

ばっ、と大仰に胸を叩くアルバ。その様子にシラヌイは笑った。

「優しいんだな、お前は」

アルバは支払いを済ませると店の扉を開けた。少し照れ臭そうに頬をかくと大きくため息をつく。

「こうなったらトコトンだ…。しゃあねえッついてこいシラヌイ!サイコーに楽しい一日にしてやるぜ!行くぞ!」

そう言ってアルバは日の下、店の外に出る。シラヌイは席を立つと、嬉々としてその後を追った。








「ううん!あの店も、この店も中々の美味でしたな!」

街を練り歩くフォーガンとルチア。

フォーガンは満足そうに腹をさすった。その隣のルチアも同様にして誇らしげに胸を張っていた。

「ふふん。この都市一体のスイーツは熟知しております。なんでもお尋ねくださいっ!で、次はどこへ参りますか?」

「どこへでも付き添いますぞ」

「えっへへ、いいんですか!そうですねえ~どうしようかなあ~」

ルチアが上機嫌でスキップする。と、

「———ルチア、前をッ!」

「あえ?」「わっ!」

ドン

ルチアは何かにぶつかったような衝撃を覚え、そのままひっくり返った。

咄嗟に受け身をとったが二人折り重なるようにして地面に倒れる。

ぶつかった何か、それは見知らぬ少女だった。

「大丈夫ですかルチア!」

「あててて…。わ、私は大丈夫」

ルチアは体を起こし自身の上に覆いかぶさっている少女を見た。

翠色の長い髪、白いドレスを身にまとい、不思議な瞳の色をした少女は顔を上げる。二人の視線が交わる。

「っぁ、ご、ごめんなさいっ!!」

少女は勢いよく立ち上がる。顔を真っ青にして、瞳に涙すら浮かべ怯えていた。

慌ててルチアは立ち上がり、少女に声を掛けた。

「いえ!ホントに大丈夫!なんともありません、こちらの不注意でした。貴方こそ怪我はありませんか?」

「わ、わたしは…」

ルチアの問いかけに少女は口ごもる。

「えっ、ちょ、ちょっと!」

返事を待たずして、その足ががくんとおれたかと思うと、その少女は地面に倒れ伏した。






陽の眩しさに少女はうっすらと瞼をひらく。

「————」

少女の視界にルチアの顔がうつる。ルチアは見下ろすように少女の顔を覗き込んでいた。

「っは!」

少女は勢いよく起き上がる。

ごちん!

「あだ!」「わわっ」

額と額が音をたててぶつかる。ベンチに座り、少女を膝枕して覗き込んでいたのだ。ルチアはぶつけた額を抑え唸った。

「ご、ごめんなさいッ…!」

「い、いえ…。元気そうで何より…!」

渋い顔で手をふるルチア。その様子に少女はおずおずと立ち上がる。少し警戒しながら少女は口を開いた。

「あなたは…私を助けてくれたの…?どうして?」

「あ、ええ?」

ルチアは少し驚いたように目を丸くした。

「ううん、理由は特に…?困っている人を助ける。そこに理由なんてないっていうか」

「困ってたら助けてくれるの?あなたには何の得にもならないのに?」

首をかしげる少女。ルチアは眉を下げながら笑った。

「あはは…そういうものです!見返りが欲しくてすることじゃありませんから。私もたくさん助けてもらってきてるし!」

「そう…」

少女は小さく呟くと、はっと辺りを見渡した。

どうやらどこかの公園であることがわかる。

「あの…ここは…どこ…?」

すると、少し離れた木の陰からフォーガンが答えた。

「ここはヘルジャイル中央地区ですぞ」

少女はじっとフォーガンを見つめた。

当のフォーガンは数メートル離れた木に隠れていた。しかし体が大きいためあからさまに半身が隠しきれていない。

「ええと、彼はどうしてあんなところに…」

「目が覚めたとき、傍に大男がいたらびっくりしてしまいますな!とか言ってあそこに…。フォーガンさーん!もう大丈夫ですよー!」

ルチアが少し離れたフォーガンに声をかける。フォーガンは静かに頷くと、がさりと草花をかき分け近づいてきた。

ルチアは歩いてくる姿を確認すると、少女に向き直る。

「私の名前はルチア、であの人はフォーガンって言います」

ベンチにたどり着いたフォーガンがお辞儀をする。

「ご気分はいかがですか、お嬢さん」

「お、お嬢さん…?ああ、私のことだね。うん、もう、大丈夫。ありがとう。えっと…ああそうか、私グロウルって言います」

グロウルと名乗る少女。彼女はフォーガンにつられ、ぺこりとお辞儀をした。

「グロウル…素敵なひびきですな」

「えっ!素敵?わたしが?」

飛びつかんばかりに、グロウルは瞳を輝かせた。

「ええ」

「えへへ。て、照れるなあ~」

先ほどまでの怯えた様子とは打って変わり、明るく笑うグロウル。その様子に若干戸惑いつつも、ルチアはほっと胸を撫でおろした。

ふむ、とフォーガンはグロウルを見つめると口を開く。

「ここ近辺では見たことがありませんな。まさか貴方は外から来たのですか?」

「え、あ、っそんな…感じ…で」

「で?」

「だから、この辺りを見て、回りたくて…それで…」

ピコン!とルチアは人差し指を立てて何かを思いつく。そして身を乗り出していった。

「あ!なら、この都市を見て回りませんか?私、案内しますよ!」

ルチアの勢いにグロウルは目を輝かせた。

「えっ!いいの!?」

「ふふ、はい!もちろんです!ちょうどスイーツを食べにお店を回ってたんです!グロウルは好きですか?甘いもの!」

ルチアはグロウルの両手を包む。ルチアの嬉々とした瞳に、グロウルは思わず顔を赤らめて目を伏せた。

「あ、え。わ、わからない…。でも」

グロウルは恐る恐る上目使いでルチアを見た。

「…気になる、かなっ」

その言葉にルチアは満面の笑みになる。そしてフォーガンを見ると二人は大きく頷いた。

「ではグロウル、行きましょう!私、すっごい美味しいアイスクリーム屋知ってるんです!」

「小生もおすすめの穴場ですぞ!」

うきうきとした様子の二人に、グロウルは小さく笑う。

「そう…。それは…楽しみだ。うん、つれてって、素敵な、ところに!」

その言葉にルチアはグロウルの手を取って駆けだす。

グロウルはその手を見つめ呟いた。

「何だか、ナイトさまみたい」

ルチアが金の髪がふわりと浮かんだ。振り向いた彼女はとても嬉しそうな顔をしていた。

「…っエスコートはお任せください。プリンセス!」

少し頬を赤らめながらも、そう言ってほほ笑むルチア。グロウルはつないだ手をぎゅっと握り返した。

「———はいっ!」


今日は天気がいい。

暖かい風が、ルチアとグロウルを包んだ。







石畳を、ステップを踏みながら歩く。

グロウルがくるくると回るたび、長い翠色の髪が舞い光に反射して蒼く光った。

肩にかかる長髪を後ろに流す。そしてグロウルは振り向いた。

「ルチア!フォーガン!たのしい!こんなに楽しいのはじめてだ!!」

はちきれんばかりの笑顔にルチアとフォーガンの顔が綻ぶ。

「へへ、そうして喜んでもらえるとエスコートのしがいがあります」

「ええ。ってああこらこら、グロウル!前を向きなさい、転んでしまいますぞ!」

「平気さ!転んだってみんなが手を取ってくれるもの!そうだよね!」

「やれやれ、参りましたな」

「ルチア!フォーガン!次はあそこだ!あの灯台にいこう!」

グロウルは東の方角を指さす。指の先には建物の隙間から灯台が見えた。

「ここから少し歩きますがいいですか?」

「うん!かまわないよ。きっと奇麗な景色が一望できる。地平線っていうのも見れるのかな。ああ、素敵だ、ここはこんなにも素敵にあふれていたんだ!いこう!はやくはやく!」

グロウルはルチアの手を引く。

「はは、グロウル。そう焦らずとも灯台は逃げませんぞ!」

フォーガンのたしなめる声はグロウルには届かない。急く彼女の様子に、ルチアは笑いこぼした。


グロウルは駆ける、二人を連れて。そうして、前に足を踏み出した。

その時。

グロウルは目の前に立つ、誰かにぶつかった。

「あっ、ごめんなさ」

「よお、随分と楽しそうじゃねえかグロウル」

「————————ぁ」

そこには口の端を釣り上げて笑う、シャルルの姿があった。

「ッ貴方は!」

ルチアは警戒し、グロウルを下がらせようと手を引く、が、動かない。

シャルルはやれやれとあきれ顔でため息をつく。

「デートか?お前もすみにおけねえなあ。だが保護者同伴だなんて、論外だ!クソだせえぜ!」

フォーガンは静かな口調で問う。

「グロウルを知っているのか」

シャルルはニヤリと笑う。

「さあね~~~」

「グロウル、下がって…」

握った手に力をこめる。だがグロウルはピクリとも動かない。

その場に硬直したまま、ぱくぱくと口を開いていた。

「ぁ、ああ」

そしてグロウルはルチアの手を離すとシャルルに駆け寄った。

「グロウル!?」

「か、かえるから、ごめんなさい。だから、ひどいことしないで」

シャルルは駆けよってきたグロウルの髪を掴んで引き寄せる。グロウルは少し痛みに顔を歪めたが抵抗はしなかった。震えるグロウル。シャルルはその額に背伸びをしてキスをすると邪悪な笑みをして言った。

「うん、イイ子だ!…でもだァめ」

「え…?」

「相手がいけねえ…。よりにもよってこのトサカ頭とデートだなんて胸糞悪くて仕方ねえ。アタシさ~こいつ、ダイッキライなんだよ。ムカつく。だから————暴れさせてもらうぜ」

突如、巨大な大槌がシャルルの手に現れる。そしてそれは石畳に振り下ろされた。

ドンッ!!

爆風にグロウルの髪が煽られる。シャルルはグロウルを自分の背後に引っ張り投げると、その大槌をルチア達に向けた。

「喧嘩しようぜ。いつぞやの続きといこうじゃねえかトサカ頭よォッ!!」







パブを後にして、歓楽街を回るシラヌイとアルバ。

狭い路地に所せましと店が立ち並んでいる。粗雑にゴミが風に吹かれていたりと、清潔で整然としているとは言い難い。が、どこを見渡しても賑やかだった。

「アルバ、次はどこへ連れてってくれるんだ」

「こっちだ。裏も見て回ろうぜ」

アルバの指が指し示す先は裏通り。シラヌイは頷くとその通りに入る。

さて、どの店に行こうかと二人が足を踏み出した時、シラヌイの足が止まる。

「…」

それはまるでその場所だけ空間が切り取られたかのような感覚。

埃っぽい裏通りの真ん中に立つ人物。

その場に似合わない高級そうなスーツに身を包み、長髪を垂らした女がそこに居た。

「お前はあの時の」

丸いレンズの向こう、その瞳は恍惚そうに赤く揺らめいた。

「覚えて、いらしたのですね。私、うれしいですわ。ああその瞳、痛いくらい鋭い眼光…!」

シラヌイは刀に手をかけて地面を踏みしめた。

その様子に女は自身の体を抱いて言った。


「いけません、いけませんわ。そう魅了しないで、でないと私…貴方を愛してしまうではありませんか———―—!」





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