9話 夢灯された日
時刻は夜。辺りは暗く外気は冷たい。
明かりの付いていない暗い礼拝堂には、ステンドグラスから月光が差し込んでいた。
そして、その檀上にはペンキをぶちまけたような血だまりと、クロスのペンダント。
クジョーはため息をつく。
一同の視線が集まる。
「————革命軍に、エリヤが攫われた」
◇
「ふざけんな。こんな事あってたまるか…駄目だ。それはあっちゃいけねえ!」
「おちつけアルバ」
傍にあった長椅子を蹴り、声を荒げるアルバにフォーガンが声をかける。だがアルバはそれを遮っていった。
「これが落ち着いてられるかよ!」
「取り乱すな、それこそ奴らの思う壺だろう!」
フォーガンの言葉にアルバは黙り込む。軽く舌打ちをし、拳を握りしめた。一同の様子を見ていたクジョーが、遠い目で呟く。
「何もできなかった」
「どういう、ことですか?」
ルチアは問う。クジョーはゆっくりと口を開いた。
「私の目に映るよりも先に、全て事は終わっていた」
クジョーの言葉にアルバは目を見開く。クジョーは続けた。
「そして奴らの狙いはエリヤだけじゃ。ムラサメがここに駆け付けなければ、私はこの首を落とされていたろうな」
一同は固唾をのんだ。
ムラサメは、壁に背を預けながら口を開く。その視線はシラヌイを捉えていた。
「忠告はしたはずだぜ」
「ああ、返す言葉もない」
シラヌイは真っすぐにムラサメを見つめ返す。
「だがエリヤがどこへ連れていかれたのか、お前には心当たりがあるんだろう?」
「え…、そう、なんですか?」
ルチアはムラサメをみる。ムラサメは気怠げに目を伏せた。
「でなければここで俺たちを待たん。知ってるんだな?連れてってくれ」
「ああ、その通りさ。だがまだ確証は得ていないよ」
「かまわん」
「…わかった。案内するよ、シラヌイ」
ムラサメは身を起こすと出口へ歩き出した。その肩をアルバが掴む。
「そんな急に出てきて案内しますって、信用出来ると思うか?研究所でのこと、忘れたとは言わせねえぞ」
ムラサメはアルバに一目もくれず答えた。
「不審に思うのも無理はない。だがね、彼、エリヤ先生には借りがある。困るのさ、死んでもらっちゃ」
「あ…?」
「僕ら軍人は彼に頭を上げられないほど借りがある。彼は軍医だった。意味はわかるね?」
シラヌイはムラサメとアルバの間に立つ。
「離してやれ。この男に敵意はない」
「いいや認めねえぞ。俺は反対だ。信用ならねえ!こいつの力を借りなくたって俺が」
「君がそれをいうのか。笑えない冗談だ」
アルバの額に青筋が走る。ムラサメはようやっとアルバに視線を送ると、肩を掴んでいる腕をとった。
「————な」
その瞬間、アルバの体が回転する。ぐるり、気がつくとアルバは床に叩きつけられていた。
「ッ!?」
「アルバ!」
思わずルチアが声を上げる。ムラサメはぱん、と土埃を払うとなぎ倒したアルバを見おろした。
「見えたか?僕の動き。いや見えなかったろう。”そういうふうに動いた”からね」
「な、に」
「格の違いは歴然だ。この間の戦闘でわからなかったかな?言ったろう、弱者は戦場に立つなと。吠えていきがるだけでは何も守れない。現に今も命が脅かされている」
アルバは唇を噛みしめ沈黙する。返す言葉もない。唇が切れ、血の味がした気がした。
「首をつっこむのは簡単だよ。だがその先は?力を持たぬものの末路を考えたことはあるか?何も掴めず、死ぬんだぞ」
ムラサメはそう言い捨てると、忌々しげに鼻を鳴らした。
「さあ、行くんだろシラヌイ。そこの四ツ目のはどうする?」
ルチアは息をのんだ。ムラサメの気迫に言葉が出ない。そして自身の名を呼ばれない事に、ぐっと瞼を閉じた。
(私は、弱者だ)
フォーガンは静かに答えた。
「行きましょう。戦力は多いに越したことはない。今は手を組むのが最善、利害も一致している。拒む理由はない」
フォーガンの言葉にシラヌイも頷く。
「ああ、エリヤを助けよう」
「…勝手にしろ」
「アルバ…!」
ルチアが声をかける。しかしアルバは見向きもしない。一同の横を通り過ぎると、外の夜闇に姿を消した。
「まってください!」
ルチアはアルバを追い、その場を後にした。
「ムラサメ、身を案じてくれるのはありがたいが、やりすぎだ。アルバを煽らないでくれ」
シラヌイはアルバ達の去った先を見つめながら言った。ムラサメはそれに答えるように呟いた。
「君は純粋すぎる、気をつけるといい」
「…」
「いや、なんでもない。悪かったよ」
ムラサメは柔らかくほほ笑む。シラヌイはムラサメを見つめたが、ムラサメの表情は変わらなかった。
「いつ出る?」
「十中八九これは罠だ、向こうは万全の状態で君を待っている。奇襲しようが門から入ろうが変わらない」
「でしょうな」
「だが早いほうがいい。そうだろ」
「ああ。君たちが来るまで、先生を殺すつもりはないにしろ、相手の出方はわからないからね」
3人は思案を巡らせる。
「でも、そうだな。もう少し調べてもいいかい。このままじゃ後味が悪いだろ?明日の朝までに僕が場所を調べておく。それまでに誰が行くのか話をつけておくといいさ」
ムラサメはそういうとひらひらと手を振って姿を消した。
シラヌイはその背中が消えていった夜闇を見つめたまま、腰に下げた刀の柄を握った。
「シラヌイ、どうかしましたか…?」
フォーガンが声をかける。シラヌイは遠くを見据えたまま口を開いた。
「いいや。なんでもない」
「アルバ…!」
ルチアはアルバを追いかけ森の中を走る。
「まって、待ってください!」
「ついてくんじゃねえ」
その声にルチアはびくりと肩を震わせて止まる。
アルバもまた立ち止まり、小さく呟いた。
「悪い」
「…いいえ。アルバの気持ちも、わかりますから」
沈黙。
夜の虫が鳴いている。
静寂の中、アルバは無造作に頭をかきぼそりと呟いた。
「はあ~。カッコ悪…」
「…」
「なあ、ルチア」
「はい」
「昔話に、つきあってくれるか」
ルチアははっと顔を上げる。そして嬉しそうに眉を下げ、顔をほころばせた。
「ええ、勿論です」
◇
ぱちぱちと火が爆ぜる。
焚火に照らされたアルバの顔に影がさす。
ルチアはアルバの言葉を待つ。
そうしてやっと、アルバは重たい口を開いた。
「俺は…。俺はよお、そりゃ生まれも育ちも最低最悪の…ろくでもねえ男なのさ―———
◇
——アルバはいつかの記憶を語った。
あれはそうだな…。ひっかけた女がヤバい奴だった時のことだ。
俺は毎日といっていいほど、酒と女、ギャンブルと、テンプレートのように遊び惚けていた。
やりたいことも、ご立派な夢もなかったからな。
だから適当にふらふらと、ひっかけたその女が美人局で、屈強なあんちゃんが出てきたって、へーきな顔で突っ立ってた。体力だけは自身があったから。ある程度殴りあって、運良けりゃ勝ってトンヅラ。運悪きゃちょこっと金を巻き上げられて終い。そういう繰り返し。それも慣れた。だから平然としてたのさ。でもな、その日は違った。”闖入者”がいたんだよ。
結局その日は運の悪いほうで、俺も”そいつ”も金を巻き上げられて路地裏に転がってた。
「いてえ~。てめえ何で割り込んできやがった。余計なことしてんじゃねえよ」
「あはは…やられちゃいましたね。ってあれ、まさかそれ心配してくれてます?」
「んなわけねーだろ。呆れてんだよ!喧嘩も慣れてねえくせして出しゃばりやがって、理解できねえ!オマエ、どうかしてるぜ」
「私はエリヤ=サンチェス」
「聞いてねえ」
「オマエ、じゃなく…エリヤと呼んでください。あ、先生でもいいですよ?町医者と神父をしておりますので!無免許ですけど!」
「ヤブ医者じゃねえか!」
「貴方は?よければ貴方の名を教えてくださいませんか」
俺は正直そいつの事なんてどうでもよかった。だから無視してすぐその場を後にした。
でもその後もあいつは俺に声をかけてくるようになった。街角でばったり、会うたびに。
「元気そうでよかった!」
「…」
それから俺はそいつに金をせびるようになった。いいカモだと思ったんだ。
「なあ、金かしてくんない?」
「ええ、いいですよ」
なんどせびっても、あいつは快く貸してくれた。馬鹿だよな、いい加減気づけよって。思った。
だから俺は、スゲー嫌いだったんだ。
—————そんなある日のことだ。
「エリヤ…?」
「どうしたのアルバお兄ちゃん」
「先生はどこいった?なあ」
「エリヤ先生、お歌の時間の途中で大人の人たちと出てっちゃった」
「な…」
「どうしたの?」
「いいや。何、大丈夫だ」
「アルバ!今日は何してあそぶ?お歌の時間なくなっちゃったし、みんなひまなの。あそんでくれるよね!」
「いや、おれは、用事があっからさ。お前たちはお友達同士で、あそんでな」
「うん!わかった!じゃあねアルバ!」
「…」
わかってたことだ。
俺は好き放題やってきたから、俺を恨む奴はいくらでもいる。そしてその矛先がいつか、俺に近い人間にむくことは。だからずっとひとりでいたんだ。
わかってた、はずなのになあ。
俺がそいつを見つけたときにはもう、そいつは路地裏に寝っ転がってた。
「はは、お恥ずかしい所を!私も鍛えないといけませんねえ」
そいつは笑ってたよ。
「ふざけるな」
俺が、顔を腫らしたそいつにかけたのは罵声だった。
「笑ってんじゃねえ」
「俺に、関わるからそうなる。そういうの————イライラすんだよ」
そいつは静かに俺を観てた。それが耐えられなくて、俺は飛び出した。
「あーあ、また一文無しに逆戻りだ。ったく、うざってえ雨だな」
煙草を咥え、火を着ける。
——シュ
そのライターは音を立てる。火はつかなかった。
「ま、いいさ。帰る場所があるつうのは元々性に合ってないのさ」
———シュボ
「所詮俺は野良犬、自由にいきて、縛られずに、面白おかしく……くそッ!火がつかねえ。一服すら俺には許されねえのか―――—あ?」
———————シュボ、ぱちぱち…
「火、つきましたよ」
「……」
「一服どうぞ、アルバ」
「…ああ」
「あっ私もいいですか?……ううんやめておいた方がいい感じですね。ありがとうございます結構です」
そいつは少しむせた後、渋い顔をして俺に煙草を返した。
俺は震える唇を抑えて言ったよ。
うまく、誤魔化せてたかは…しらないけどさ
それが、エリヤに初めて言った感謝のことばだった。
◇
気が付けば、焚火の火は小さくなっていた。
アルバの瞳は落ち着いていた。
「で、まあそっからは教会にずるずる世話になって~今に…いたる!以上!」
にか!と歯を見せて笑うアルバに、ルチアは目を細めた。
「アルバ…」
「祈りの言葉も、歌も何一つ響かねえが、エリヤの事は信じていいと思った。俺みてえなゴミにだって馬鹿みたいに甘え!初めてだったよ、あんな奴に会ったのは」
そういうとアルバは眉間にしわを寄せ、神妙な面持ちで呟いた。
「そうさ、だから彼奴が…こんな反逆を企ててるなんて知った時は止めたよ。無謀だからな」
ルチアは息をのむ。
「エリヤは…なんと?」
「自分に出来ることをする。見て見ぬふりは、できないってよ」
「エリヤらしい、ですね」
「こんな喧騒に巻き込みたくなかった。でもあいつは頑固だから、やるって聞かねえからさ。だったら付き合ってやろうと…。絶対に守ってやると誓った。どんな手を使っても…な」
アルバは唇を噛む。大きなため息をつくと、両手を頭の後ろに組んだ。
「でも結局こうなっちまった!やれやれ、俺はなにやってんだかな」
アルバは頭をかいた。だがその目は真剣だった。アルバはルチアに視線を戻し、申し訳なさそうに口の端を上げて笑った。
「どこまでも、自分勝手で都合のいい男なのさ。悪かったな、当たり散らかしちまって。落ち着いたよ」
「いいえ、平気です。みんなも分かってくれる。エリヤも、きっと大丈夫です。タフな人ですから!助けましょう。アルバも一緒に!」
アルバは少し驚いたように目を丸くした。ルチアは続けた。
「私達に、出来ることをしましょう?」
「はは。そうだな。ありがとうルチア」
ルチアはほほ笑む。それに応えるように、アルバは歯を見せて笑った。
「お前、いい女だよ!」
するとルチアは半身をのけぞらせ大げさな反応をした。
「うわ、それはセクハラですよ」
「は、はぁ!?なんでそうなる!?」
「これだからおじさんは…」
「まだお兄さんだっつうの!」
いつもの調子に戻ったアルバにルチアはくすりと笑った。
「ふふ、でもアルバが思ったより悪い人じゃなくて安心しました」
「…!」
ルチアは膝に手を当て立ち上がる。そして手を差し伸べて言った。
「一緒に頑張りましょう!へへ、よろしくお願いしますね!アルバ!」
「ったく、お前達といると調子狂うわ…」
アルバは腰をあげる。目の前に差し伸べられたルチアの手を見る。
が、その手を取ることはなかった。
ぱち
ぱち
ぱち
焚火は小さく燃え続けていた。
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